育児休職から復帰する前の忘備録
ブログ、サボりまくってました。
のんきーもんきーです。すっかりワーママ←使ってみたかっただけ の仲間入りです。
2017年で終えてるということは、職場復帰してからのことを全く書けていませんね_φ( ̄ー ̄ )書きましょう!書き留めておきましょう。
怒涛の1年でした。タイムラグがありまくりです。要注意です。
○2016年12月
保育所の入所申し込みがはじまる。
4月に預けて、5月に復職予定でした。慣らし保育を長めにとり、予防接種を可能な限り受けておきたかったので、一歳の誕生日を迎える5月末までは復職を待ちました。
○2017年2月
希望していた保育所の入所決定通知が届く。
私の住む松江市も0歳児を逃すと、まぁ入所できない地域です。こればかりは年度にもバラツキがあり、2017年度は産まれた赤ちゃんが多かったらしく激戦だったようです。私は両方の親が遠方だったので、加点がついたのでしょう。
○2017年3月
職場の人事部と面談。
主人の勤務時間や保育の開所時間、どちらが送迎するのか、私のスキルの確認をふまえて、現場は難しいとの判断になり、間接部門の営業課へフルタイム復職することとなりました。どうしても9時までに出社できない旨を伝えてフレックス制度を利用すればいいよ〜との助言があり、私もすんなりイエス!
ちなみに、2017年4月で入社9年目。これまでただひたすら汗水流す現場職を転々とし、妊娠中の半年は体に負担のない接客業を経験し、色んな職場をさまよっています。
○2017年4月
慣らし保育スタート!この時点で娘は10ヶ月。
先生はじめまして、保護者さんにもはじめまして!子どもだけじゃなく、親も子どもと離れるための準備期間だと思いました。とにかく気になる!この時間は何してるんだ?泣きじゃくってないかな?とか色々です。
まず数日は2、3時間から開始して、様子をみて昼食を一緒過ごしました。中には泣きじゃくって水分すら受け付けない子どももいますが、娘はもぐもぐ美味しそうに食べたので、保育士さんから「午後までフルに預けてみましょうか」という提言があり、2週目にはガッツリ9時から16時まで預かってもらいました。
先生の顔と名前を覚える、連絡ノートの書き方、熱があった時の対応、持ち物の詳細、遅れて保育所に預ける場合などなど、この慣らし保育中に、保育所ルールを一つ一つ明確にした方がいいです。
娘も慣らし保育中に、溶連菌感染をもらい小児科にかかりました。登園許可書がいるのかなど保育所によって異なるようで感染症はややこしいです。
○2017年年5月
いよいよ復職…の前に、仕事に着ていく服がない!ということで、人生初オフィス服をUNIQLOで揃えました。もちろん、着ていく服に毎朝悩みたくなかったので、同じ服を2着買って着回しました。トップス紺色、ボトムス紺色、全身紺色、黒のノーヒールポインテッドトゥ、黒のバッグといった無難な格好でしょうか。保育所へ送りだす時点で汚れますからね〜。
というか復職前に引き継ぎがあるから来いって、ちょっとありえなかったんですが。実質働いてるみたいなもんで、賃金発生してませんよね。
まぁ、小言はさておき、次は復職してからのことを記事にします。
☆ちなみに娘は2017年5月に無事1歳を迎えることができました!
走りだせ〜
産後10ヶ月が経ちました。
育休中というものの、友人や弟の結婚式に叔母の死別に、何のための休業だったのか途方に暮れる時があります。
冠婚葬祭と交通費で貯蓄が消えたんじゃないかってくらい。
凄まじい移動のせいかお肉も消えたよ(笑)
ちゃんと娘と向き合えたのかな?
離乳食の進め方もあってるのかな?
育児日記、毎日書けなかった!
家も服も散々汚したな…
なーんて、考えながら10ヶ月が経って、保育所が決まって、復帰に備えて面談へ…
すくすく育ってくれたから、保育所へも通えるし、職場復帰もできるんだよね。
この1年、働く以上に濃かった!!!
調べたら前厄じゃないの( ゚д゚)⁈
このまま復帰に向かって大丈夫なのか⁈
徒歩10分の保育所に抱っこ紐で通う姿は、車社会の地域ではかなりのレア者(笑)
そして、その足で最寄り駅までまた歩き、通勤シュミレーション…
その途中でランナーさんやジョガーさんを見ると、4月5月はマラソンシーズンだし、大会でも出ようかな、と思ったものの参加可能な大会が叔母の四十九日と重なりあえなく断念…
暖かくなってきたし、気持ちも切り替えて、ひさびさに走りに出てみますか!
距離やタイムの目標はないけど、すんごい走りたい衝動にかられてます。
さすがにジョギングスタイルで登園したら、ツッコミどころ満載かね〜( ̄^ ̄)
子どもを産んでも、性格は変わらない。
ははー、私は私でしかなかった(笑)
物は少ない方がいい
叔母とのお別れから、じき1ヶ月が経とうとしています。
公営住宅に住んでいたので、最長3ヶ月で明け渡しをしなければいけません。
タンスや家電といった大きい物から針やボタンといった小さい物、趣味だったガーデニングですくすく育った植物たち…
これらの行方を決めてあげなければいけません。
しかし…
ホントに1人で住んでたのか⁇というほど、物に溢れています。
既製品やらお手製やら、生地から糸まで!
私の手先が器用で裁縫が得意だったら頂戴しますとも。
枕元には断捨離関連の本があったので、これから取り掛かる予定だったのかな^_^;
残された物品を一つ一つ手にとって、新しい行先を与えてあげるのは、思った以上に進まないですね。このまま保存してあげたいくらいです。
残された方が辛い。
四十九日までは、このままをキープする予定です。
服飾の仕事に就いていただけあって、手持ち服や飾りなんかにもセンスが光ってます(´ω`)
形見分けっていうんですか。
私も何点か分けてもらおうと思っています。
ただ、私は姪という立場なので、大きな声でアレ欲しい!コレ欲しい!とも言えないですし、家族も私の物の少なさは知ってると思うので、一番最後に選ばせてもらいます。
おそらく植物かな?
かえって姪という立場なだけあって、目につくところがでてきました。
叔母は独身でしたので、配偶者や子はおらず、父母(私からだと祖父母)も他界しています。となると法定相続人は、兄弟(私の母)です。
残された者は、短時間で誰に連絡をすればいいのか、残された金品はどうすればいいのか全てをはぐって糸口を見出していきます。
最後の最後まで、生きる意思があったので遺言は残されていませんでした。
携帯電話の連絡帳や履歴、手帳、財布や通帳…
整理整頓はされているんですが、何をどうすればいいのかサッパリで兄弟は困惑しています。
銀行は凍結されたため、今後の引き出しには相続人全員の署名捺印が必要です。
遺産トラブルに発展する可能性もでてきました。
そして家の物品は、明け渡しまでのリミットである最長3ヶ月、なおかつ四十九日以降ともなれば実際は1ヶ月そこらで片付けをしないといけません。みんながみんな鍵を持っているわけでもなく、平日に動けない人が大半なので、週末にとなると、5月の毎週末には業者や宅配の手配をしないといけないわけです。
その作業を60すぎた高齢兄弟が行うんです。
彼らはよく意見も衝突していて、くわえて足腰は思うように動かない…もう大変です。
残された者はジワジワ襲ってくる悲しみをこらえるのに必死で、大量に残された物の処理においついていません。いかにこの状態をキープし続けるかに知恵を振り絞っているようです。
歳のせいなのか顔を会わせばあーだこーだケンカで、計画すら立っていないようです。
後始末や身支度って、自分の年齢に関係なく進めておいた方がいい。
残された者への、せめてもの孝行として。