研ぎ澄ませ!ガテン系女子

泥臭い生活をミニマム化していくブログ

コロナでバースト

書こうか書かまいか悩んだすえ、言葉に残すことにしました。

コロナ禍で苦しかったこと、得たこと、スッキリした今を送れているのも、もがいた過去があったから。

 

2020年、本来ならオリンピックもあってそこそこな賑わいだったと思うんです。インフラに勤めてる立場としても、国内が陽気になるのは嬉しいことです。

 

しかし、あっという間にコロナが流行ってしまい、4月の緊急事態宣言が発令され、聞き慣れない用語と行動制約が日本全国を閉塞感に包みました。

当初はワクチンが出来るまで、病床確保の時間稼ぎと自分に言い聞かせていましたが、4月5月ついに気が滅入ってしまいました。

目の前の仕事がなくなり有休消化、一方で感染リスクを背負いながらも現場にでる覚悟、誰も歩いていない街、平日の休みも子どもと付きっきりの生活、食材も冷蔵・冷凍庫からすぐなくなり、スーパーや生協でも品切れが相次ぐ。一つ一つの小さなストレスが積み重なって「私はいったい何してるんだ?何者なんだ?」と辛くなり、泣き崩れてしまいました。生活にハリがなかった。いつまでこんな苦しみが続くのか。

もう一つ辛くなった理由は、自分の性欲とどう向き合っていいのか分からなかった時期と重なってしまったから。

コロナ禍でソーシャルディスタンスをとらないといけないものの、私自身の存在が不安定でグラグラしているなか、ただ主人に抱きしめて欲しかった。当時、社会から不要な仕事をしていた私にとって、必要とされている実感が欲しかった。これが30代を襲う性欲かと恥ずかしい気持ちと衝動が交錯して、本当に苦しかった。

 

ある日、決壊してしまい涙の大放出。

 

約束していたのにすれ違ってしまって、期待していた自分がアホみたいで、わーーー!!と大泣きしました。それが一人だったのか、主人の前でだったのか泣きすぎて覚えていません。押し寄せてくる生活変容、仕事に対する向き合い方、自分の性欲が高まっていること、全てひっくるめて泣きました。無力で悔しくて悔しくて、とにかく逃げたくて泣きました。まぶたが腫れたまま仕事に出向いて帰ってまた泣いてを1週間くらい繰り返すうちに、涙がでなくなってしまいました。

 

帰宅中「いつまで泣く?」と天の声がふと聞こえました。

 

泣いていたって状況はすぐに変わりはしない。ましてコロナ前に戻ることなんてない。

今の自分が置かれている状況を淡々と整理し、何が不満で何に恐怖を覚えているのか家族でゆるく話し合いました。

我が家は新聞をとっているのですが、新聞を読むことで興奮のクールダウンに一繋がりました。感情に左右されない文字列、コロナの特性や給付金などネットの熱いコメント祭りより端的な新聞を読む方が私には適していました。

またお店に入れば担当者が、休校が明けて学生が、街に人がいる状況も私に元気をくれました。

もちろん、性欲に恐怖を感じていることも包み隠さず主人に伝えました。遮ることなく、否定することなくきちんと受け止めてくれたので、それだけでも口に出して良かったです。

 

底地をさまよっていたので、這い上がるのみだと言い聞かせて、一足先に進む!いま出来ることしようと勉強に励み、現場仕事も今日一日後悔しないように、明日感染しても悔いのないように、振り返った時に真摯に向き合ってきたと胸をはって言えるよう前向きに取り組むようになりました。

もがき苦しんだ過去があるからこそ、クリアーな視点で今を見つめることができています。

そしてコロナ禍にも関わらず評価がついてきました。

 

ーー事態は好転するーー

 

こう自分に言い聞かせて、いま出来ることを全うするとシンプル思考に拍車がかかったような気がします。

 

以上、最近ののんきーもんきーでした。

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 ↑写真は植田正治写真美術館での一枚📷